日本遺産 飛騨匠の技・こころ - 木とともに、今に引き継ぐ1300年 -

vol.05 新名鍛冶屋鍛冶職人・新名 清雄さん

高山の文化を守る鍛冶師の謙虚な姿

「職人を育て、生き残らせてくれたのは屋台なんですよね」

鍛冶職人

その鍛冶屋には火箸や五徳が陳列されていた。

新名鍛冶屋
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「文鎮、燭台などを作るとすぐ売れちゃう」。

工具を取りに現れた新名さんは笑う。その日はすぐそばの戸谷漆工所で屋台の作業をするという。

「一発勝負だな」。

新名鍛冶屋

塗師(ぬし)の戸谷さんが漆で仕上げた大国台(だいこくたい)の巨大な部材に、新名さんは綱を通すための鉄の用具を取り付ける。仮打ちはできない。漆塗りが済んだ部材に傷はつけられないからだ。

鍛冶師の金づちは叩く部分が長い。

新名鍛冶屋

「熱した鉄を叩くときに握り手が焼けないようにするためです。叩く面が平面や丸面になっているのは、打ちのときに瞬時に用途を使い分けるため。鉄を打ち出したらいちいち道具を取りにいけないですからね」。

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鉄は熱いうちに打てということだ。

古い部材を取り外すのも仕事だ。

「木が腐っていたり、釘がさびていたりすると取り外しのときに屋台を傷つけかねない。今日は戸谷さんの作業場でしたが、屋台の仕事は場所も職人もさまざまで、とにかく共同作業。こうした職人仲間や組合の存在は心強いです」。

新名鍛冶屋

明治15(1882)年に曽祖父が創業。新名さんは当代4代目だ。

「以前錠前の修理でとある蔵に親父と向かったら、じいちゃんの仕事やと教えられて。独特なR(アール)の曲面具合や面の取り方で、ウチの流れだと分かったときは嬉しかったですね」。

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父とは多くの仕事をともにした。

「父を亡くした当初は親父助けてくれという思いも正直あった。でも、親父こうしよったなと思い出した技法でクリアできて。普段の生活でいつの間にか学んでいたのかな」。

自分一代ではここまでこれなかったと、新名さんは感謝を忘れない。

「この環境があるのはご先祖のおかげ。今日まで商売できたことが奇跡。仕事は継続が大事で、継続が歴史を築くんですよね」。

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とくに屋台の仕事の結果は今すぐに出ない。

「結果は20年、30年、50年後なのかな。職人を育て、生き残らせてくれたのは屋台なんですよね。次の世代にも屋台を引き継げるような仕事をしなきゃ」。

高山の文化を守っているのは、そんな職人の謙虚さかもしれない。

「鍛冶屋は頑固親父のイメージだろうけど、自分は柔軟性がある方かな。まだまだ腕を磨かないと」。

鍛冶師はどこまでも謙虚だった。

新名鍛冶屋
屋号
新名鍛冶屋
名前
新名 清雄
住所
岐阜県高山市片原町24
電話
0577-32- 0561
プロフィール
明治15(1882)年に曽祖父が創業。3代目にあたる先代の父の仕事を幼いころから手伝いながら、鉄鋼の製作所などを経て、自然と鍛冶職人の道へ。高山の屋台の修復作業には数多く関わる。
主に関わった高山の屋台
秋の八幡祭:大八台(だいはちたい)、豊明台(ほうめいたい)、鳳凰台(ほうおうたい)など
高山祭
日枝神社の例祭である春の「山王祭」(毎年4月14日・15日)、桜山八幡宮の例祭である秋の「八幡祭」(毎年10月9日・10日)の二つの祭を指す総称。300年以上の歴史を誇る。高山祭や祭屋台は「国指定重要無形民俗文化財」「国指定重要有形民俗文化財」に指定。高山祭の屋台行事を含む国内の山・鉾(ほこ)・屋台行事は「ユネスコ無形文化遺産」に登録。
高山の屋台
大工・漆・彫刻・錺(かざり)金具・鍛冶など高山の職人の技術の粋を集めて作られた傑作。曳(ひ)き廻(まわ)しといった伝統行事などが行われる屋台は高山祭の象徴的な存在。春の山王祭の12台、秋の八幡祭の11台の計23台が現存。